@レポート:上小倉→追入
2005年11月27日15:00をもって、明治の隧道に代わり大動脈を支え続けた昭和のトンネルは
ここに38年に渡る現役の幕を閉じた。初代に比べれば1/2にも満たない現役時代ではあったが、
見つめ続けた車の数は比ぶべくもない数に及ぶ。
今はひっそりと静まりかえった旧道。
あのトンネルに吸い込まれていく車の喧騒がついぞ今し方まで、 ここにあったとは俄に信じがたい。
こうやって見るととんでもない、めちゃくちゃ急って程でもなく、ヘアピンと言うほどでもないが この勾配のこの急カーブのこの広さに、大型車が往来していたとはね。
いつ来るとも知らぬ通行者に向け「トンネル出口カーブ注意」はいつまで投げ続けられるのだろう?
こうやって見遣ると、なかなか凄い谷間であったことが解る、 だが現道は、もうここまで上らずとも良い、もう冬の積雪や凍結に悩まされることもないのだ。
38年間多くの車を飲み込み吐き出し続けた坑口。 風雨などの自然、排気ガスに汚れたトンネルは、 漸く休まる時を得た、それは果たしてトンネルの人生としては良いことなのだろうか? この直上には更にそれ以上眠り続けた隧道が存在するのだから・・・
しかし、まぁ、この出てすぐの急カーブ、思えばひっどい線形だったな(苦笑
こーんなこと、現役時代なんて、とてもじゃないが絶対に出来なかったよ! 一人喧騒から遠ざかった鐘ヶ坂トンネルを満喫する。
篠山市側も出てすぐの急カーブ、丹波市側ほどじゃないにしろ、こりゃ恐ろしい、 トンネルが直線だっただけにね、明るいところに出たとたんカーブが待っていた。
まだこのトンネルが造られた時代は、一大事業だったのだろうな、
兵庫県知事の筆による扁額が掲げられている。※現在この鐘ヶ坂トンネルもフェンスにより閉鎖されています。
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旧道は県道か、市道に格下げられるのだろうか、 物言わぬおにぎりが一人佇む。
山へ向かっていた一直線、この脇には人家があり、 また、この奥にある県道の更にまた奥には工場もあり、 需要が無くなるといったことはないだろうが。
すぐ脇には1012mも地中を貫いてきた現道が姿を現す、 ここで道は再び喧騒に再会する。
また、そのうち差し替えるけど。 なんか、感慨深げに語ってしまったよ・・・(笑 因みに、新道一番乗りは何ら感慨深くなかったよ・・・