目次道路県道とその他一般道和歌山県道40号 樫野串本線

和歌山県道40号 樫野串本線

国道42号線分岐・和歌山県東牟婁郡串本町串本「潮岬東入口」交差点 終点 @レポート:潮岬東入口→樫野崎
国道42号線の「潮岬東入口」交差点から串本沖に浮かぶ紀伊大島の樫野崎までを結ぶ主要地方道。 r40はここを左折する。 [地図]

港町 港町、といった感じ。

r40ヘキサ 「県道40号 樫野串本線」県道標識。

町外れ この辺りで町が終わる。

建物 左手にはぽつぽつとまだ建物がある。

海岸沿い 山と海が接近し、道は海岸に沿うように走る。

県道41号線分岐 串本町出雲から橋を渡って紀伊大島へ向かう、ここから「和歌山県道41号 潮岬周遊線」が分岐している。 r40はここを左折、r41は直進して潮岬へ。 [地図]

最初のひとまたぎ 苗我島までの間を渡る。

対向車 苗我島にある「苗我島ループ橋」が見えてきた。 紀伊大島の大部分が海食崖となって落ち込んでいるため、橋の取り付けを島上部にする必要がありループでもってその高さを稼いでいる。

ループへ ループに入る。

駐車禁止 駐車禁止標識があるが、中央にピンもあり止めようもない。

海上区間 ループ全てが苗我島にあるわけではなく、一部海上に出ている。

くしもと大橋 次に渡るは「くしもと大橋(290m)」。苗我島と紀伊大島の間を結ぶ中路式のローゼアーチ橋。 この「くしもと大橋」と「苗我島ループ橋」が1999年に開通したことにより、 島内に閉じていた県道が橋を通じて本州までつながった。

何もない道 橋への取り付けのために開通させた道路のため、周辺には何もない。

緩やかなアップダウン 緩やかなアップダウンを繰り返す。

橋 切り通しに橋が架かる。

下り ずーっと下っていく。

青看板 青看板が見えてきた。

大島港への分岐 大島港へ向かう道が分岐している、地図によってはそちらも県道指定されているものもあるがここでは扱わないものとする。 県道はここを右折する。 [地図]

下る なおも下っていく。

セイダカアワダチソウ 沿道にはセイタカアワダチソウが咲き誇る。

上り 道が上りへと変わる。

須江地区へ 島南部の須江地区への分岐がある。

那智大社への道 左手に航空自衛隊の串本分屯基地がある。

二車線 二車線の道が続く。

リゾート大島へ リゾート施設のある「リゾート大島」への分岐。

森の中 島のど真ん中を貫いているため、辺りは延々森の中。

樫野地区へ 樫野地区への分岐がある。

渡橋 橋を渡る。

標識 また何か青看板が見えてきた。

右カーブ 道路が右へ急カーブを描いている。

行き止まり どうやら車両が通行できる道路はここで終了のようだ、右手にある駐車場に車を置く。

歩行者専用道 ここから岬へは自転車及び歩行者専用道路となる。

ブロック張り アスファルト舗装から遊歩道を主張したブロック張りの道となる。

ぐいーっと下りる しばらく歩いていくと「トルコ記念館」がある。 1890年に大島沖でオスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号が座礁した。 その遭難者を島民が救ったことから日本とトルコの友好関係が始まった。 この出来事を記念して、ここにトルコ記念館が建てられた。

土産屋 おみやげ屋さんがある、ここまではかなり広い道幅が確保されている。

橋一つめ 橋を渡る、海を跨いでいるわけではなさそうだ。

慰霊碑前 慰霊碑の前を通る。

慰霊碑 エルトゥールル号殉難将士の慰霊碑。

もう一軒のおみやげ屋 もう一軒おみやげ屋さんがあった。この風雨の中、観光客も居らず暇そうにしていた。

橋二つめ もうひとつ橋を渡る。

車止め 車止めがしてある、なにやら標識が。

那智山蓬莱乃湯 自転車及び歩行者専用道路の標識。この先(岬方面)から車がくるはずもなく、 道は(岬方面へ)続けて歩行者用道路であろうに何故わざわざこのような標識を反対向きに立てているのか謎だ。 この直前まで県道だということだろうか、とするとここでr40は終わりとなる。

岬の道 その先を見ると灯台が見えてきた。

職員巡回 この日は職員が点検に訪れていたようで、奥まで車が入っていた。

樫野崎灯台 樫野埼灯台。14.6m、1870年8月に建設されたが、その竣工を待たずに7月には点灯が開始された。その光達距離は34kmに及ぶ。 上に登ってみたが、この風雨の中傘一つでは危険であったため早々に降りてきた。